某所からのスピンアウトのwikiです。未解決事件あれど、実は時効になったのかさえ分からない事件があります。そこを推理していきます

事件概要

 1990年2月23日未明、船橋市立宮本小学校小学6年生の宮城拓磨くん(当時12歳)は文京区の自宅を
「ボクは家出する。親切なおじさんのところへ行く」
「船橋の方に優しいおじさんがいる。そのおじさんはお母さんより大事な人だ」
と母親に言い残して自宅を飛び出していった。
そのまま行方が分からないまま、3月13日に公開捜査、3月18日に千葉県我孫子市の利根川で全裸状態で、両足首をひもで縛られた腐乱が著しく人相がわからない遺体となって浮いているところを発見された。
検視の結果、両肺にうっ血に水腫、左肺に約500cc右肺に血の混じった約150ccの水が入っていた。頬に縄で縛られたような跡と太もも下肢に皮下出血で足首以外に複雑に縛られた跡、全身に内出血の跡、後頭部にそら豆大以下の小さなコブが残っていたことから犯人に拷問を受けたと思われる。
また、臓器内に川の水から検出される植物性プランクトンが含まれていないことから、風呂の水などに押しつけられたか水攻めをうけ窒息死した後、川へ投げ捨てられた可能性がある。
死亡推定日時は、遺体に付着していた藻の鑑定結果から、2月25日から3月4日頃の約一週間に絞り込まれている。
体を縛っていた紐はそれぞれ異なった紐で4種類あり2種類は1メートル以上の布紐、2種類はビニール紐であり、報道によればビニール紐の1つは量産品であり、
報道初期に断定されたビニール紐に対し布紐が巻き付くような形でつながっていて重しを結んでいたのではないかと推測されている。
ビニール紐の出処から犯人を探ったらしいが続報は無い。
26日に遺体発見現場上流5キロ地点の利根川左岸河川敷で少年の白ズック1足、黒ズボン、黒ランニングシャツが発見されたが本人のものかは不明。

 拓磨君は家出前、「サイジョウ」と名乗る30代の男性と付き合っていることを母親やその恋人、友人にほのめかしていたほか、「優しくしてくれるおじさん」「モノを買ってくれるおじさん」「待っていてくれるおじさん」「車に乗っけてくれるおじさん」「おじさんの家の鍵を預かっている」などと伺える記事がある一方、同級生はその存在を聞いたことがなかったと証言する記事もある。
 拓磨くんは母親が新しい恋人のため89年12月に千葉県船橋市から文京区に引っ越してきたばかりであり、転校せずに船橋の小学校へ電車で通学していた。母親の知人(共同経営者の恋人)には船橋のららぽーとで会ったなどと話していたという。
引っ越した12月頃におじさんに奢ってもらったなどというようになり、89年の夏以降に糖尿による食事制限していたこともあり食事に誘われ付き合うようになった可能性もある
事件前の2月には服を学校においていたり、リュックサックや黒いビニール袋に服を詰め登校した際に頬を縛られたような跡ができていたという。89年12月から5回の外泊を繰り返しており、最長2日で帰ってきた。
 拓磨君は2月17日の午前12時10分頃に同級生と帰宅、同級生の家に寄り食事代500円を借りて、午後1時に母親に帰宅する旨を電話で連絡した。その後の午後1時半頃に同級生とJR東船橋駅近くで別れたが帰宅駅と逆のJR船橋駅に向かって歩いていった。
午後3時半ごろに帰宅した際に唇が倍近くに腫れ、両頬、両足に縛られたような傷、両手足に背中に痣、擦り傷引っかき傷があったことに、このおじさんのことを問いただされ母親と口論になるが、同級生と別れたときにはそのような傷はなかった。
JR東船橋から拓磨君の自宅まで電車や徒歩で1時間かかるため、同級生と別れてから約1時間でこのような傷がつく出来事があったのではないかと思われる。
 借りた500円はどのように使われたかわかっておらず、バスや電車などを使い1,5キロ圏内に移動した可能性もあり、食費として使った場合は交通機関を使わず徒歩30分圏内の場所に移動したのではないかと思われる。なお、このようにお金は借りたのは初めてだったらしい。
家出の直接的な原因は2月17日に殴られたような傷があった拓磨くんに対し母親が注意し、学校を休ませて、2月22日に再度頬の傷のことを問いただした事が原因のようで翌23日早朝には拓磨君は姿を消していた。
口論の際には卒業式(3月17日)に出ればいいんだろうと反論していた。警察側も出席するするのでないかと思っていたが出席しなかったことが報道されている。
無くなったものから青色のジャンパー(黒色報道もあり)と白のズック、ランドセルを着用していたと思われるがそれ以外の上下の服装は不明。
「優しいおじさん」は拓磨くんの証言から、複数ではないかと警察は見ている。千石駅や水道橋駅、東船橋駅で待っていたおじさん、よくモノを買ってくれたおじさん、車の運転をしていたおじさん、と同一人物にするのには若干無理があると思われたため、これらを犯人とするなら、最低3人以上のグループの可能性もある。
 この優しいおじさんの証言だが、母親が知人男性(年齢が同じなのでおそらく新しい恋人と同一人物)に頼んで電話をかけてもらい警察官を名乗った上でテープに録音しながら聞き出したものである。
「年は30〜40」「昨年12月末に出会った」「船橋にいる」などを聞き出している。

事件が発覚した日にはJR東日本千葉支社がストライキに突入し、尼崎で大量の死傷を出した未解決放火事件の長崎屋火災が発生たために、千葉はストライキ報道がメインになり全国報道が長崎屋火災がメインになったため情報が少ないと思われる。
それでも当時はテレビ報道も母親へのインタビューもされたらしいが、途中から報道が無くなり時効時に関しての報道もなく手詰まりとなっている。
事件が起きた年の11月2日の日刊スポーツの新聞報道を最後にこの事件に関する情報がない状況にある。
拓磨君は当時の小学生にしては高身長の162cmだったため年齢と一致せず目撃した人が小学生と認識できなった可能性があり、公開された写真が痩せる前だった場合人相が一致しなかった可能性もある。

わかっていること

母親は会社経営者
89年12月に共同経営者の恋人のために文京区に引っ越している
引越し後には近隣の証言で夜にベランダに締め出したことが結構有った
12月頃からおじさんにおごってもらったなどをいうようになった
その時期以降に5回の外泊をしており最長2日で帰ってきた
引っ越してからの拓磨くんは家に居づらかった報道あり
拓磨くんは89年春頃から日曜にふらっといなくなり夏以降に糖尿による食事制限で痩せ目つきが鋭くなった
友人と分かれた際には船橋駅方面に歩いていった
出会った場所は船橋のららぽーと
合っていた期間は不明だが昼から夕方の間にも会えていた
土曜日の移動時間含んだ2時間程度の短時間でも会えた
合う駅が違うことがある(千石駅、水道橋駅、東船橋駅)
車で出かけたり移動している(社用車か自家用車かは不明)
何かを買ってもらっている(親にばれない程度のもの)
食事をごちそうになった
1月におじさんの家の鍵を預かっている
伝えられたのか被害社宅の電話番号を知っており母親が出ると無言電話だった
その際に拓摩くんから僕宛の電話ではないのか!と怒ることもあった(母親談)
2月頃に顔に痣ができたりリュックやビニール袋に服を詰めて登校していた
事件前頬に紐で縛られたような後が複数回あった
事件前に服を学校においていった
家に直帰するのに食事代として500円を借りている
借りた500円の使用用途は不明
口論の際に卒業式(3月17日)に出ればいいんだろうと言っていた
警察側も卒業式に出る可能性を考えていたため卒業式に現れなかった報道をしている(17日夕刊)
当時の小学生としては高身長の162cmとだった
失踪時は坊主で青色ジャンパー(黒色報道あり)を羽織り白のズック靴を履いてランドセルを持ち歩いていたがそれ以外の上下の服装は不明
多くの優しいおじさんに関する証言は知人男性が警察官を名乗り電話をかけ聞き出しテープに録音していたた証言である(当時の通話録音機能は不明)
多くの人間に優しいおじさんのことを伝えていた証言と相反して同級生は誰もその話を聞いたことがないという証言もある
3月25日の時点で捜査側は優しいおじさんの実在を疑っていた
2月23日未明から家出し25日から3月4日に死亡
4種類の紐が使われている
両肺にうっ血に水腫、左肺に約500cc右肺に血の混じった約150ccの水があったため溺死と断定
植物性プランクトンがないことから川で溺死させられたわけではない
26日に現場上流5キロ地点の利根川左岸河川敷で少年の白ズック1足、黒ズボン、黒ランニングシャツが発見されたが本人のものかは不明
少なくとも新聞から時効報道は見当たらない
事件後に被害者母は引っ越した

優しいおじさんに関して

当時はテレクラの流行、裏ビデオなどが今よりわかりやすく販売されていた時期なので、誘う側も警察、親等への警戒心が今よりなかったのではないかと思う。
優しいおじさんの目的は誘拐などではなく性的なもので、殺害当日に至るまでに会う度何度かそのような行為をしていたのではないかと思われる。
 30代から40代のようで船橋のららぽーとであった時期は12月末、引越し前からの付き合いなのか引越し後なのかもわからず、学校帰りの平日に出会ったのか、休日に出会ったのかも不明であり、証言通り船橋在住かもわからない。
モノを買い与えたり、食事をごちそうしたり、車に載せたり家の鍵を預けているが複数犯かどうかも不明であり、千石駅、水道橋駅、東船橋駅や付近での本人がおじさんといた目撃情報も1つもなく捜査がおて上げになった。
昼から夕方の間、土曜日の移動時間含む2時間でも会っていることから時間的余裕が多い人物だと思われる反面、買い与えたものが親に見つかっていないので消え物や親が気づかないような小物ではないかと思われるため資金に余裕があったかは不明である。
車を使っているか自家用車か社用車か、車の車種すら不明なため情報が得られなかったことも大きいのではないかと思う。
被害社宅の電話番号を知っており母親が出る際は無言電話だったが、拓摩くんからは僕宛の電話ではないのかと怒ることがあった。
当初は拓磨くんを受け入れたものの、外泊がいつもより長く家出をしての来訪であったことを把握した。約一ヶ月後の卒業式(3月17日)までに帰らせたとしても警察沙汰は免れないと考えたため、殺害した可能性がある。
公開捜査は死後に始まっているためそちらが原因で追い詰められて殺人を行ったということはなさそうである。
 やはり目撃情報が何一つなかったこと、遺体の状況からして男色で緊縛を趣味としていたようなことは伺えるが、殴打などの過度の暴行の跡がないので粗暴とも限らないため犯人の緊縛性癖だけでの捜査は情報が入らないので難しかったのではないか?
後述するが実在しない説がある。

謎の500円

2月17日に借りた謎の500円の使用用途は不明で、このように借りたことも初めてだったらしく食事代として借りていた。
 帰宅の時間から逆算して、バスや電車などを使い1,5キロ圏内に移動した、食費として使った場合は交通機関を使わず徒歩30分圏内の場所に移動した可能性があるが、聞き取りされたはずの東船橋駅員の証言はない。船橋駅の証言は不明。
帰宅後の傷によって、この後おじさんに会ったのだと思われるが、おじさんが車で迎えに来なかったのか、それとも車が使えなかったのか、食事はおじさんはおごってくれないのか、それとも申し訳なく思って食事が食べたいことは言わなかったのかと謎がある。
帰宅する電話を入れた後、自宅に帰った際も母親がいるため食事は作っていなかったのか、土曜日は食べてから帰ることになっていたのか、渡されるお金を忘れたかも不明である。
 おそらく優しいおじさんに関しての報道に集中したため有耶無耶になったのではないか。

4種類の紐

体を縛っていた紐はそれぞれ異なった紐で4種類あり2種類は1メートル以上の布紐、2種類はビニール紐である。
 ビニール紐の1つは量産品であり、ビニール紐に対し布紐が巻き付くような形でつながっていて重しを結んでいたのではないかと推測されてた。量産品以外の紐の出処から犯人を探ったらしいが続報は無い。
なぜ4種類も使ったのかは不明であり布紐は緊縛に使用してた可能性もあるがビニールに関して2種類なのは不明である
 量産ビニール紐のみ死体遺棄の際にわざわざ持ってきたのではないかと考えられるが、結局なぜそこまで種類を使ったのかは不明である。

死亡時期

2月23日未明から家出し25日から3月4日に死亡、18日腐乱が著しく人相がわからない遺体となって浮いているところを発見された。
遺棄した時期は不明だが3月4日の遺棄だと考えても14日で腐乱したとも考えられるが、冬の川の中での腐敗速度がわからないためどの程度の腐敗具合かは不明である。
 腐乱した際のガスの浮力が重しを超えた際に、遺体が浮いて流れ出したと思われるが、前日からの目撃証言もないため3月17日の夜頃浮上して流れ始めたのだと思われる。
遺棄場所の特定も重しが発見されなかったため不明な点が多い。

TV報道

当時は色々報道されたらしく、母親のインタビューなどが会ったらしいが映像もなく、中身に関しても不明なため新聞関係の情報が不明のままである
 理由としては千葉ではJR東日本千葉支社がストライキに突入したためこちらのニュースがメインになってしまったこと、全国報道では長崎屋火災のためそちらの報道がメインになってしまったことが挙げられ、その後長崎屋火災が放火の可能性が高い報道と放火関与が疑われる6人の似顔絵が公開されたため、持続性のある情報がなかったこの事件の報道が減っていったのではないかと考えられる。
重大事件と同時期に起きた事件はこのように、報道で紙面を割かれなくなるためよくある事例の一つであると思われる。
新聞における時効報道も見当たらない。
 また小学生としては当時の平均152.1cm、43.3kgと比べて162cm、53kgと身長が高かったため、小学生と認識されていなかった可能性はあるが、学校のある東船橋付近での証言もないためTVでは証言があったのか不明である。
被害者が小学生であったこと、優しいおじさんに親切にしてもらっている、家出したらそこに行くなど他の誘拐事件につながるような手口、性的な事件を匂わせることだったのに報道が減っていったことは謎が残る。

優しいおじさん非実在説

色々な情報が出てきたのだが、捜査側は3月25日の時点で実在を疑っている。
 理由としては、まず目撃情報が一切なかったことが挙げられる。
学校のある東船橋は被害者を知っている人間が多いのにかかわらずららぽーとや駅前で一切目撃されていないのである。もちろんおじさんといるところも目撃されてない。
 次に優しいおじさん(サイジョウと名乗る男)と付き合いがあると吹聴していたいう話である。
地元新聞報道では同級生たちに聞き取ったところ、そのような話は聞いたことがないと証言され、全国報道では同級生もほのめかされたと書かれており齟齬があるが、捜査側が早期に疑いを持ちそのことを明言したらしいので同級生の証言もなかったのではないかと思われる。
その場合、優しいおじさんがいるという証言は母親とその共同経営者の恋人の証言しかないため警察が疑いを持ったのでないかと思われる。
近隣の証言では夜にベランダに締め出される拓磨くんを何度か見たらしくそのあたりも疑う原因だったのではないか。
 最後に優しいおじさんのことを語ったテープである。
このテープは母親の知人(共同経営者の恋人)が警察官を騙り、被害者から聞き出したことを録音したテープであり第一報の19日にはもう報道されていた。
家に居づらかった報道もあるので被害者は母親の恋人のことを知っており、家に来たことも何度もあり会ったこともあるようなのだが声で気が付かなかったのかという点、なぜ通話を録音していたのかが疑問を持たれたのだと思う。
 このテープがどのようなことを語っていたのかは不明で、いろいろな記事にある情報はここからではないかと思われる。
このテープがTVで報道された可能性もあるが、TV報道に関する内容が不明なため地元新聞報道にある「年は30〜40」「船橋にいる」「昨年12月末に知り合った」「1月に鍵を預かった」以外の詳しい内容は不明である。

総合

以上の点を考えると優しいおじさんがどのような人物かも不明、実在性も不明であり目撃情報もないためお手上げである。
DNA鑑定も大きく導入されていないためなにか残っていたしても特定は不可能であり、捜査側も手詰まりになったのだと思われる。
事件を過ぎてからの報道も少なく時効に関する報道も見当たらないのが実情である。

この事件に関する情報(同じ町に住んでいた、こんな報道を知っている、映像が残っている等)をお持ちの方は情報を教えてくださると幸いです。

このページへのコメント

これ母親とその知人(=恋人)の犯行説あるけどどうなの?

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Posted by 名無し(ID:wF2U3MQm3A) 2023年10月10日(火) 15:32:48 返信数(1) 返信

返信遅くなりました、
一言言えるのは一番怪しいと言えるのは彼女でしょう。「やさしいおじさん」と呼ばれる人物は母親とその恋人しか知らないという要素は怪しむべきところでしょう。
ただ、この事件としては死体発見までに時間がかかりすぎたという要素が大きく、やさしいおじさんが実在しようとしまいと逃げおおせる時間は余裕でありましたので。

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Posted by  odanobutaka0312 odanobutaka0312 2023年12月23日(土) 22:45:07

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