某所からのスピンアウトのwikiです。未解決事件あれど、実は時効になったのかさえ分からない事件があります。そこを推理していきます

事件概要

1977年12月31日午前10時頃、東京都中野区大和町に住む無職の伊達満世さん(94歳)と長女の光代さん(74歳)が1階台所付近で倒れて死んでいるのを光代さんの孫娘の横塚美鶴さん(25)と旦那の正明(25)さんが発見。
前日30日に昭夫さんの実家からもらってきたおせち料理を曾祖母(満世)と祖母(光代)にあげようと電話をかけたところ応答せず、満世さんは耳が悪く、目も殆ど見えない寝たきりの状態で、光代さんはリウマチを患っており、手足が不自由のため電話に出ないのも当たり前に思い、明日直接あげよう家を訪問したところ無施錠であり、異臭がしたため妻をかばった夫が中に入り遺体を発見した。
光代さんは玄関をまっすぐ行った台所兼食堂で仰向けに刃物で首を7箇所刺されたうえに、ビニールヒモで締め上げられ絞殺されており、顔には黄色いタオルを掛けられていた。
満世さんは居間の中で布団の上にスカート履いたままの普段着姿で、21箇所も刺されうつ伏せになって死んでおり、掛け布団がかかってた。
 家は荒らされており1階だけ建築デザイン事務所以外すべてが荒らされており2階は手つかずだった。
過度に荒らされてると感じた捜査員も居たようだが遺留品が全く見つからず、二人分の返り血を浴びることを考えると、ルミノール反応がかなり残るはずだと考えられたが、ルミノール反応は被害者が倒れてたところにしか無かった。
現金7万円が有った封筒、通帳が七冊、その他額面を合わせると5千万円にもなる債権類、実印、宝石も見つかったがこの時点で差し引き4千万円ほど足りないこと、貸し金庫の鍵が紛失していることが発覚。
 捜査本部はこれを受けて、物取りに見せかけた怨恨、強盗殺人の両方で捜査することになったが、貸金庫に差額の金額4千万は手つかずで残っており捜査は難航した。
また殺害時刻も発見時期の問題で検視が年明けとなり、腐敗が進んだため目撃証言を精査しても28日の夜から29日の昼と絞り込めなかった
怨恨に関しても、出入り業者、近所の住民、土地鑑のありそうな前歴者、親族の友人、伊達家のかつての使用人、被害者親子が琴や英語を教えていたため昔の教え子、満世さんの旦那が妾と作った子どもの係累まで調べて、丸二年近く掛けたものの成果は上がらなかった。
容疑者は捕まらず、事件はそのまま時効を迎えた。

見取り図


新聞の間取り図と他資料の間取り図が食い違うが新聞は簡略図のため本の情報を優先している

わかっている事実

凶器は被害社宅の柳刃包丁
満世さんは耳が悪く普段寝たきりの状態だがトイレには自力で行けた
満世さんの遺体はカーディガンにスカートを履いたままの普段着で21箇所も刺されていおり死因は頸動脈切断
満世さんの遺体は敷布団の上でうつ伏せになっておりその上に掛け布団を掛けられていた
警察は女性の力でも可能であると推定
光代さんはリウマチを患っているが買い物には出ており際に目撃された28日の16-17時にも買い物に出ている
28日に買い物帰りに親戚と会話をしており今夜を肉を食べることも話していた
28日午後5時にはタバコ屋にタバコを購入しに来ており、台所の電灯がつけっぱなしだった
タバコを誰が吸っていたのかは不明
光代さんの遺体はスカートにセーターの普段着にエプロンをつけた状態で首を7箇所刺されており防御創はなく、直接の死因はビニール紐での絞殺
ビニール紐はきつく首に巻かれていた
光代さんの遺体は黄色いタオルが掛けられていた
ビニール紐と黄色いタオルは家のものか分からない
家の中に似たようなビニール紐があったが結び付けられず
相当な返り血を浴びているはずだが遺体周辺以外でルミノール反応が発見されていない
足跡も発見されていない
娘の部屋が他の部屋に比べてひどく荒らされていた
建築デザイン事務所以外の各部屋毎の整理ダンスと机が荒らされており、衣類、下着類、書類がばらまかれていた
台所は洋ダンスが荒らされていた
二階は手つかず
激しく荒らされていた娘の部屋にあった現金74,500円入り封筒、併せて約280万円の通帳七冊、額面5千万円にもなる債権類、実印、宝石は手つかず
上記の手つかずのものは犯人が物色中に発見していたため物取りに見せかけた犯行か他の目当てがあったのではないかと警察は推定
貸金庫の鍵は発見されず
貸金庫の債権は都営新宿線の工事用地として71年に売却した1億円の一部が含まれているが手つかず
普段は年260万の軍人恩給で生活しているが家作も多く上記の売却した金利を生活費に当てていた
事件前年に光代さんが満世さんの反対を押し切り熱海に3600万のマンションを購入
吉祥寺に時価1億3000万の土地を所有
普段は5人と1匹の猫が生活していたが事件当時は2人と猫だけだった
光代さんの夫は結婚当時中佐で駐仏大使館付き武官で夫婦で渡仏経験があった
光代さんは英語がペラペラでモダンばあちゃんと評判だった
満世さんの孫晃子さん(50)と夫の建畠嘉門さん(50)が同居しており住居内に建築デザイン事務所を設置
満世さんのもうひとりの孫夫婦の間にこの家に寄宿している内田二さん(27)がいる
内田二さんは27日に旅行がてら名古屋の実家に帰省
晃子さんは17日から嘉門さんは22日から伊東の別荘に宿泊
親族もまっさきに調査されたものの全員アリバイがあった
年末のため検視が遅れ死亡時刻は12月28日夜-29日の夜と推定
29日朝刊は投函されたままのため28日夜-29日朝を有力視
被害者が朝刊を取る時間帯は不明
28日夕食前後か29日朝食前後の事件かも不明
30日午前10時半から午後7時半に横塚さんが5,6回電話をかけている
酒屋の御用聞きが29日朝に訪問した際は明かりがついており全部の門も勝手口も閉まっていた
米屋の御用聞きが31日朝に注文を受けていた米を配達した際は勝手口が半開きだったため声をかけたもの机のせいで遺体が見えなかった
発見時玄関に鍵はかかっていなかったが普段も戸締まりしてないことが多かった
捜査本部は部屋の荒らされ具合から強盗説、強盗に見せかけた怨恨説の2つを捜査していたが関係の深いものが犯人であると捜査していた
満世さんの夫は日露戦争で20歳で戦死しているが複数人の間に6人の子供がおり調査されたが特に何もなかった
1800人をリストアップし187人の徹底的な身辺調査をしたものの79年8月1日に捜査本部は解散した

遺体状況

光代さんは刃物で首7回刺されているが致命傷にいたらず、死因はヒモによる絞殺
母親は頸動脈切断が死因

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