最終更新: odanobutaka0312 2022年08月15日(月) 19:41:31履歴
その事件が公になったのは、1990年1月26日であった。愛知県名古屋市千種区の母子とその同居人が行方不明であると警察署から発表された事だ。
ルメイヤス・科乃(しなの)さん(30)とその息子ダライちゃん(3つ)の母子と、同居人の長尾能卓さん(よしたか)(34)3人の行方不明であった。
ところが、主たる新聞社はこの詳細を伝える事が無かった。そこで中日新聞を調べたところ、失踪についての記事が失踪三ヶ月半経って新聞記事になっている。
科乃さん親子は1989年7月26日の午後に父親の職場に8月分生活費を貰いに来て、「明日夜から4.5日間四国へ自然食関係のイベント(塩の祭り)を見に行く。私のワゴン車で長尾さんに連れて行ってもらう。向こうではキャンプする」と話していた。だが、それ以降親子は行方不明になる。
7月29日に名古屋空港に被害者の車を男性が預けに来たとの証言がある。その後10月10日に自動車が発見された。預けに来た男性が長尾氏であるかは分かっていない。
更に11月の警察の捜査で失踪したルメイヤス家の居間と押し入れの布団に血痕があることが判明、科乃さんの血液型と一致しているものの、最大で牛乳瓶一本程度であり、殺害に至ったかは不明である。古い血痕であったため、DNAも検出出来なかった。
ルメイヤス・科乃(しなの)さん(30)とその息子ダライちゃん(3つ)の母子と、同居人の長尾能卓さん(よしたか)(34)3人の行方不明であった。
ところが、主たる新聞社はこの詳細を伝える事が無かった。そこで中日新聞を調べたところ、失踪についての記事が失踪三ヶ月半経って新聞記事になっている。
科乃さん親子は1989年7月26日の午後に父親の職場に8月分生活費を貰いに来て、「明日夜から4.5日間四国へ自然食関係のイベント(塩の祭り)を見に行く。私のワゴン車で長尾さんに連れて行ってもらう。向こうではキャンプする」と話していた。だが、それ以降親子は行方不明になる。
7月29日に名古屋空港に被害者の車を男性が預けに来たとの証言がある。その後10月10日に自動車が発見された。預けに来た男性が長尾氏であるかは分かっていない。
更に11月の警察の捜査で失踪したルメイヤス家の居間と押し入れの布団に血痕があることが判明、科乃さんの血液型と一致しているものの、最大で牛乳瓶一本程度であり、殺害に至ったかは不明である。古い血痕であったため、DNAも検出出来なかった。
長尾氏は、二人が居なくなった後の28日29日に被害者の家に居たという。もし、彼が親子を殺害若しくは拉致をしていたとしては随分のんびりしているのも釈然としない。布団の血液を処分していないのも気になる。又、大家には8月分の家賃を払うという電話連絡をした事が分かっている。ここではルメイヤス親子が先に塩の祭りに出発したので、自分もついていくと話していた。
ここで気になるのは前述の被害者の自動車である。自動車はワゴン車であり、キャンプの為のサンダル等の道具が入っていて、ガソリンはほぼ空っぽであった。ガソリンをどこで使ったのか。更に預けたときの男性が長尾氏であるかがはっきりしない。ここの如何で、大きく事件の様相が変わると思う。なお警察はタイヤに詰まった土を鑑定して、行動した場所を探ったらしいが上手くいかなかったようだ。
ここで気になるのは前述の被害者の自動車である。自動車はワゴン車であり、キャンプの為のサンダル等の道具が入っていて、ガソリンはほぼ空っぽであった。ガソリンをどこで使ったのか。更に預けたときの男性が長尾氏であるかがはっきりしない。ここの如何で、大きく事件の様相が変わると思う。なお警察はタイヤに詰まった土を鑑定して、行動した場所を探ったらしいが上手くいかなかったようだ。
この事件はオウム真理教との関連が取り沙汰される。科乃さんと長尾氏は環境問題や宗教による神秘体験に興味があり、オウム真理教と接触した事があるらしい。ただ時期を見るとまだオウム真理教による、敵対者を殺害していく嚆矢になったのはこの年の11月の坂本弁護士一家殺害事件である。幹部が関わったとはとても考えづらい。末端の信仰者が起こしたとしても何かしらの情報が入るはずである。そういう意味でも全く情報が無いのを考えるとオウム真理教による犯罪とは考えにくい。血を一人で処分させる迂遠さがあるとも思えない。
他の新興宗教が何らかのトラブルでルメイヤス親子を殺害に至った可能性もある。ただ、遺体が一切見つかってない事と、長尾氏も行方不明であり、事件が発生してから33年も匿っていられるのか、という問題が出てくる。どんなに閉鎖的な新興宗教でも前述の噂が漏れる可能性を考えると、父親達も独自に調べている事と合わさって、どうにも可能性は低いと思ってしまう。
事件と本筋が逸れるが、塩の祭りがインターネットだけで調べているとどんな祭りなのかが分からない。四国にある香川県多度津町に事件後に行われるようになった「塩の祭り」はあるのだが、徳島県で開催されていたとの情報があり、明確に違うものであることが分かる。被害者親子はこの「塩の祭り」には参加していない事は両親の調べで分かっている。
父親が当時未解決事件を題材にしていたテレビ番組で司会をしていた板東英二と親交があり、テレビ出演をしていたらしい。ネット上に載っている顔写真もテレビに使われたものの様に見える。ただこの事件を取り上げた番組を見たことがないので、ここで書いてある疑問に番組が応えられるのかが、分からないのが現状である。まぁまだ著作権があるので、ネットにアップロードするのは違法なので、個人間で見られる形が望ましいが。
この事件は長尾氏の行動が不可解であることがどうしても一番に入ってくる。だが、彼が犯人だとしても33年間発見されていない事に対しての説明がつかない。何故被害者の車が発見された駐車場の従業員に長尾氏の顔写真を見せていないのか、見せたとしたらその結果が何故ネットには書かれていないのか。もし長尾氏と違うなら、何らかの集団の関与がある可能性も捨てきれない。27日に何が起きたのか。深い霧は未だに晴れない。
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